日本行動分析学会ニュースレター
J-ABAニューズ
1999年 夏号 No. 16
私と行動分析学との出会い (1)
リレーエッセイ
中野良顯(上智大学)
私が東京教育大学に入学したのは昭和34年、いわゆる60年安保の前年である。父は
戦後間もない昭和23年、勤務の傍ら耕作していた丘陵の畑で、農作業中、雷に直撃さ
れ即死した。働き盛りの45歳であった。5人きょうだいの長男で小学2年生だった私は、
中学校の給食婦になって弧軍奮闘する母親に背中を押されながら、それから高校を卒
業するまで親子6人が生き延びるため新聞配達で必死に稼いで、光の差さない長い漆
黒のトンネルを手探りでじりじりと前進した。学校ではいろいろな先生に出会った。
知的好奇心を満たしてくれるだけでなく、逆境に生きる子どもたちを支援して下さる
先生もいた。生活は日々苦しかったが、学校での時間は楽しかった。いつしか自分を
友人らと区別して「生活派」と分類するようになった。そして環境と人間形成との関
係や、人間としての誇りと尊厳が行動に果たす役割などについて、知的興味と関心を
抱くようになった。もし大学に進学できるなら、教育の営みについて深く探究してみ
たい。中学生のころから進路をそう考えるようになった。
「わが国における一般の優秀な学生であって経済的理由のため進学できない事情に
ある者に対し、その修学上必要な経費を給付し、将来、社会国家のために貢献する有
為なる人材の育成につとめ、もっていささかなりとも国運の興隆に寄与したい」。松
尾國三が創立した財団法人松尾育英会は、返還義務免除の育英生を全国から数人募集
していた。書類と面接審査の末、その年の4人の育英生の1人に選ばれた。生活の拠点
を18年暮した常陸太田市から東京板橋の育英会学生寮に移した。
60年安保の「政治の季節」の真っ只中、朝永振一郎を学長に仰ぐ大学の新入生となっ
た。エスタブリッシュメントに対する疑問の矛先は、講壇の思弁的教育学に向った。
教育学に人間がいない。子どもたちはどこにいったか?
教育学は人間行動の変化を科学的に説明できるヒューマンサイエンスとなってこそ
科学として自立する。大学院ではそう考えて守屋教育研究所や都立教育研究所の非常
勤カウンセラーをしながら、臨床活動にどっぷり自分を浸け込んだ。活動の支えはロ
ジャーズの来談者中心療法の理論だった。
オーバードクターになって3ヵ月が過ぎた昭和44年7月、横浜国立大学助手に就職し
た。そして3年、日本における来談者中心療法の先駆者、伊東博先生の膝下で、カウ
ンセリングとグループ・エンカウンターと「教えない教育」の実践に没頭した。湯河
原を拠点として全国各地で開催される4−5泊のカウンセリング・ワークショップに
伊東先生の指示で世話人として参加した。そしてノンディレクティヴなグループ経験
を存分に体験した。その体験は小集団の実験的環境において、人間の一挙手一投足が
他人の行動にどう影響を及ぼすかをつぶさに観察する体験だった。その積み重ねの中
で漠然たる疑問が次のように明白な形をとるようになった。来談者中心療法の仮説は、
科学のテストにかける必要のない究極の真理か?ロジャーズが「人間か科学か?」で
描いたサイエンティストとプラクティショナーの乖離と統合の問題は、誰によって追
試されているか?世話人は自ら臨床事例をもつことなく、臨床科学に関して後進を指
導できるか?
そのころ東京学芸大学の野村東助助教授から、久里浜の特総研に移った玉井収介教
授の後任として附属特殊教育研究施設での自閉症児教育研究プロジェクトに参加する
よう勧誘された。迷いと不安が交錯したが、尊敬する小川捷之教授の強い勧めもあっ
て決断し、昭和47年8月、山口薫教授が施設長を務める研究施設に赴任した。
昭和47年は異動と「転向」の年となった。伊東博先生は、その8月、日本カウンセ
リング協会主催でアメリカ・ワークショップを企画された。24日間のアメリカ旅行の
主目的は、ラホーヤにロジャーズを訪ねること、そしてカリフォルニア大学サンデイ
エゴ校キャンパスでの2泊3日のエンカウンターグループ「ラホーヤプログラム」に参
加することだった。合せてカウンターカルチャーとして台頭しつつあるヒューマン・
ポテンシャル・ムーヴメントの実態も調査しようというものだった。
東学大への引っ越しも完了せぬうちに、先生の強い勧誘に押し切られ、このワーク
ショップに参加することになった。32歳にして初めての外国旅行である。ロジャリア
ンとしてロジャーズに会い、彼の主催するエンカウンターグループに参加する。本望
というべきであるが、それがスキナー派への「転向」の契機となるとは、けだし個人
史の皮肉と言わざるをえない。
エンカウンターは、8月11日から13日まで、UCSDキャンパスで行われた。アメリカ
の土を踏んで強いカルチャーショックを受けて、ヒアリングもスピーキングもままな
らないのに、5日目には10数人のアメリカ人グループに混じって、方向のないコミュ
ニケーションを3日間集中して展開する。夕方には身も心もくたくたに疲れ果てた。
そのグループにコーンさんという物静かな米国婦人がいて、優しくことばをかけてく
れた。「新しい職場で、自閉症児を治療することになった。途方にくれている」と話
した。それを解読した彼女は「なぜUCLAにロヴァスを訪ねないの?」と問い返してき
た。彼女は最終日の午後、ニューポートビーチの家に私を招待して、さらに詳しく話
を聞いてくれ、ロヴァス訪問のために彼女ができる援助について話してくれた。「ア
メリカ帝国主義」を憎みソ連を憧れていた私は、最初のアメリカ訪問で咸臨丸の乗組
員もかくやと思われるほど激しく揺さぶられた。
日本で私を待ち受けていたのは、重い自閉症の子どもたちだった。すぐに本格的な
児童臨床の仕事が始まった。受容と共感のカウンセリングではまったく歯がたたない。
背に腹はかえられない。行動療法に抵抗を感じながらも、ロヴァスの論文を読んで見
ることにした。まず Science (1966)に掲載された「分裂病児の模倣言語の獲得」
を翻訳した。ウイング編(1966)『小児自閉症』に収められた「精神障害児にスピー
チを確立するプログラム」も、Behavior Research and Therapy(1967)に掲載され
た「分裂病児の模倣行動の形成と複雑な行動開発への活用」も、リスレイとウルフ
(1967)の「エコラリアの子どもに機能言語を確立する」も、Psychology Today の
シュライブマンとケーゲル(1975)の「自閉症:その悲惨さは克服できる」も翻訳し
た。それからは行動分析の自閉症治療への応用の古典を、手当たり次第に貪り読んで
は翻訳した。
書斎は通勤途上の中央線で、お茶の水から武蔵小金井までの間に英文を翻訳する。
製図用品売場で大量に買い込んだトレーシングペーパーに、ニューマン・ローリング
ライター用黒スペアインクつきパイロット万年筆で、それを読めるように直して清書
する。それを機械にかけて青刷り資料をつくる。コピー機もワープロもない時代の必
要な作業だった。
これらの資料は、毎週水曜夜、その日の臨床が終わってから、内地留学の先生や大
学院生を誘って読み合せすることにした。中川四郎先生はこの勉強会に必ず参加され、
新しい知識を吸収されようとした。勉強会の参加者の中に行動分析の専門家は1人も
いなかった。何年もの間、シェーピングとチェーニングの区別もつかなかった。「納
得すれば譲歩する」を条件に「自己洗脳」を繰り返すうち、ロジャリアンはスキナリ
アンに変貌していった。
昭和51年夏、コーンさんの仲立ちで、ロヴァス、シュライブマン、ケーゲル、リム
ランド、それにロサンゼルス郡とサンタバーバラ郡の自閉症学級を訪問する研修旅行
が実現した。日本の個別指導のビデオテープを持参して、ロヴァスのスーパーヴィジョ
ンも受けることができた。
フルブライト教育委員会は、臨床心理学の枠ではフルブライト渡米研究員を募集し
ない。しかしロヴァスのところで、行動分析をきちんと勉強したい。トエフルの試験
を受け、ファカルティ・デヴェロップメント・フェローの枠で願書を提出した。運が
味方して78/79フルブライターに採用された。
UCLAのロヴァスの下で1年間、行動分析の臨床を勉強した。その間に1979年第5
回ABA大会に参加し、そこで初めて佐藤方哉教授や藤田継道教授や樋口義治教授をは
じめ日本行動分析学会の創設に関与する人々と知り合った。そのころの状況を滞米日
記の一部を抜粋して再現してみよう。
ニューポートビーチからコーンさん来る 1978年9月23日(土)
20日にロサンゼルス入りして8日目の27日、借家探しに苦労したが、ついにロサン
ゼルス郊外のヴァンナイスにこじんまりした一軒家を見つけてそこに住むことを決め
る。9月6日、近所の「ヴァレリオ通り小学校」に息子を連れてゆき、小学1年生とし
て入学したいと校長先生にお願いする。幼稚園を勧められたが、年齢的には問題がな
いので、やや無理を言って認めてもらう。9月8日DMV(免許証センター)に行き、自
動車運転免許の筆記試験を受け合格した。9月20日、DMVに行き運転免許の実地試験を
受けて合格した。10月5日、知り合いから譲ってもらうスカイラークを待つばかりと
なった。
9月23日UCLA留学のきっかけを作って下さったコーンさん夫妻が、はるかニューポー
トビーチからヴァンナイスまで、長距離ドライヴしてお祝にかけつけてくださった。
1972年夏、ロジャーズ主催でUCSDで開かれたエンカウンターグループで一緒になって
以来のご縁である。お土産に「テーブル椰子」のグリーンインテリアを下さった。そ
れから家族を車に乗せて、ダウンタウンのレストランまでゆき、夕食をご馳走して下
さった。いよいよ9月25日(月)からUCLAの新学期が始まる。
大学授業開始 1979年9月25日(月)
今日からUCLAの78/79年度の授業が始まる。ロヴァスも秘書のフローもやっとバケー
ションから帰ってきた。ロヴァスの授業は、火曜と木曜の2時から3時15分までの
行動修正の講義と、金曜1時からの臨床実習である。午後は教育学部のヒューイット
教授を訪ねた。彼の講義も取ってみることにした。それからレンタカーショップにゆ
き、来週まで車を1台借りることにした。こう暑くては、バスが来るまでに待ち時間
の間に倒れてしまう恐れがある。次いでUCLAカウンセリングセンターを訪ねた。ハワ
イ出身のドクター・ヤマダに当分面接してもらうことにした。
初めての授業 1978年9月26日(火)
昨夜、同期のフルブライターでUCLAの建築学の大学院に入学した東大大学院のKが
自宅にころがりこんできた。彼を車に積んで一緒に登校し、キャンパスを案内した。
午後1時からカウンセリングセンターのカウンセラー、ドクター・ヤマダに会い、行
動修正と人間性心理学などについて話をし、当分の間、異文化カウンセリングを受け
ることにした。やさしい先生で聞き取りやすく話してくれ、外国語でのコミュニケー
ションでもほとんどストレスを感じない。
2時からロヴァスの最初の講義。大教室で受講生は200人くらい。ロヴァスはマイク
を胸につけて講義する。念のため小型マイクでテープに取った。4時からはヒューイッ
トの特殊教育の講義に出た。新カリフォルニア州法によって、教師志望者は特殊教育
を受講することが義務付けられ、そのためのコースで、受講生は20人くらい。1時間
半ぶっ通しで講義があった。ロヴァスの冗談入りの授業とは一味違う話しぶりだった。
1日英語ばかり聞いていて疲れてしまい、最後は聞き続けるのが辛くなった。アカデ
ミックライフの第1日が終わった。ノーモア・イングリッシュ!
初めてのケース 1978年9月27日(水)
午後1時、ロヴァスがロンという4歳の自閉男児のケースを指導するので陪席した。
部屋にいるのは、ロヴァス、ロンとその母親、2人の学部学生、それに私。今年6月か
ら受理したケースであり、初めはUCLAで訓練し、次いで学生が家庭訪問して訓練し、
ロヴァスはコンサルタントになって、トラブルシューティングするという。ロンはこ
とばもあり、おとなが専門的な話をしている間、床におもちゃの郵便箱やレコードを
広げて、活発に遊んでいる。「水飲みに行ってくる」「窓の外見て」など、私たちに
働きかけてくる。幼稚園では自閉症というと間違った扱いを受ける恐れがあるので、
失語症で通した方がよいと助言する。家庭教師にゆく学生に指導法について注意を与
える。ときどきロンを抱き寄せて「ロンのお鼻は?」「ロンのお耳は?」「このお鼻
は誰のお鼻?」などと質問する。ロンははきはき答え、とても素敵だった。ロンが治
療室を出て行こうとする。母親が「ここにいなさい」と制止する。ロンはそれでも出
て行こうとする。ロヴァスが吃驚するような大声で「ノー!」と言う。ロンはしょん
ぼりして、メソメソしながら床でまた遊びはじめる。しばらくするとまたロンを抱き
寄せ「さっきはごめんね。大人はこどもを叱るもんだ。だっこしてやろう」と抱き上
げる。ロンは元気になり、また部屋の中で遊ぶようになる。ロヴァスは母親を伴って
自分のオフィスにゆこうとする。ロンがナキベソをかく。ロヴァスは「ロンここにい
なさい。お母さんが帰ってくるまで待つんだ」と指示した。ロンは思いとどまりまた
遊び出した。これが初めてのケース観察の概要だ。午後3時過ぎ、遅いランチを一人
で食べに行った。それから研究室で5時半までロヴァスが執筆中の自閉症指導マニュ
アルを翻訳した。緊張して疲れてしまったのでKを拾って車で帰宅した。
ティーチングアシスタントとオフィスアワー 1978年9月28日(木)
この日、ティーチングアシスタントのロン・リーフと大学院生のジョン・マカーキ
ンに面談し、ロンのケースを例にして、臨床活動の説明を受けた。午後1時、ロヴァ
スの部屋で個別面談を受けた。留学して1ヵ月、いまの生活状況を話した。「ペアレ
ント・アズ・セラピスト」論文の中身について質問した。ロヴァスは、毎週水曜午
前11時から私と個別面談してくれるという。私たちが話していると、背の高い女子学
生が部屋に入ってきた。ロヴァスの娘でUCLAの心理学科の学生だという。4人の子ど
もたちのうち末っ子のエリックは高校生だが心理学はやらないという。
私の研究室はダグ・ヤングと同室で秘書室の隣にある。そこでランチを食べて、午
後の授業にそなえた。2時からのロヴァスの授業は、2回目でリラックスして聞くこ
とができた。話の内容も、ロヴァスが初めて担当したケースについてであり、黒板を
使って説明しエピソードを語り、質問に答えるというもので、身になる話だった。大
学院生の名前も少しずつ覚えられるようになり、どうやらキャンパスライフも順調に
進みそうだ。
初めてのプレゼンテーション 1978年12月7日(木)
UCLAカウンセリングセンターのドクターヤマダの勧めで、今日はセンターの所員会
議の場で日本の教育事情についてプレゼンテーションすることになった。8時に家を
出てセンターに行き、9時から11時まで2時間発表と討議をした。日本の教育をめぐ
るダイナミックスを、1979年実施の養護学校義務制をめぐる論争を紹介して説明し、
後半は東学大での自閉女児の個別指導と3人グループの集団指導のフィルムを提示し、
これまでの治療の歩みを述べ、そして最後にUCLAに来てからのロヴァスの治療との異
同を挙げ、考察を加えた。昨夜、15枚ほど原稿を用意しておいたので、アドリブで説
明を加えながら明快に自分の考えを提示することができた。まるでだめだと思ってい
たが案外好評だった。1つのことを成し遂げるとさすがにほっとする。フランツホー
ルの5階の研究室に戻ったら、秘書のフローが「あら今日はまたおめかしねえ!」と
冷やかす。今日は朝から発表があったので緊張した。ロサンゼルスに来て初めてネク
タイをしめたと答える。彼女は、ロヴァスも今日からテキサスに飛んで11日の月曜ま
で帰らないから、少しのんびりしたらと、慰労してくれた。久しぶりにポカンとした。
2日前の夜中に英語で長い寝言を言い、そしてなんだか泣いていたという。自分で
はまったく気づかない。きっと「異境ノイローゼ」だろうというと、家内は必ずしも
そうではない、日本にいたときもストレスが強いとこのような症状を呈したという。
私の本質に関わるものだ。つまり負けず嫌いで、やるからにはよく準備して心からよ
かったと言われたい。そういう完全主義の性向がストレス場面で強まると、こんな症
状が出現するのだという。
今日学生たちは期末試験だ。来週15日はカウンセリングセンターで2時から6時までク
リスマスパーティがある。7時からはロヴァスの自宅でパーティがある。年末はこれ
でひと区切りつく。明日はフルブライトスカラーのための集いがある。
(次号へ続く)
昔からエネルギッシュだったんだなぁ、と感じさせる中野先生の手記。20年前のUCLA
で何があったのか!? 続きは次号のお楽しみです(編)。
宇野千代『行動することが生きることである』
シリーズ:生きがい本の行動分析 (第三回)
長谷川芳典(岡山大学)
シリーズ3回目。2回目のスキナーに続いて宇野千代さんをとりあげたのは“Enjoy
Old Age.”と似通った主張が多く、前回からのつながりをもたせる点で最適と考えた
からである。じっさい宇野さんの著作の中には『行動することが生きることである』
(1988年)という行動分析学的?なタイトルまである。ここではそれを含めて、『幸
福を知る才能』(1982年)、『幸福は幸福を呼ぶ』(1985年)、『私の幸福論』(1993
年)などを引用していきたいと思う。なお、これらの書の発行所はいずれも海竜社。
以下、紙面の節約のため、発行年の下2桁で出典を区別する。
宇野さんは、1897年山口県生まれ。代表作『おはん』のほか著作多数。ネットで書
籍検索したところでは9月現在で115〜119件がヒットした。その一方で、きもののデ
ザインの仕事もこなす。4度の離婚、2度の破産、3度の大きな病気を克服されたが、
1996年6月に98歳でお亡くなりになった。宇野さんの本には著名な大哲学者の言葉の
引用は殆ど無いし、いちいち根拠を挙げて論証するような書き方もしていない。にも
かかわらず読者を納得させる力があるのは、作者自身の波乱万丈で豊富な人生経験が
滲み出ているからであろう。もっとも私自身は、宇野さんの実際の生きざまについて
は何ひとつ知らないし、文学作品を熟読したわけでもない。ここではあくまで書き記
されたものだけを対象に、生きがい論や幸福観の特徴を探っていくことにした
い。
宇野さんの生きがい論を一口で言うならば「人生は死ぬまで現役である、老後の存
在する隙はない」(88年, 215頁)ということになろうかと思う。とはいえ、死の直前
まで絶望せず生涯現役を貫くということは並大抵のことではない。宇野さんは次のよ
うな見方で諸問題をクリアしている。
まず、どんな人生でも困難がつきまとう。これに対しては、「困難に出会うと、本
能的に、その困難を打開してみたい」という衝動が起こるのだという(88年, 22頁)。
他にも「何か困ることがあって、それを少しずつ直して行くのが好きである」(88年,
22頁) とか「...何をするのにも、このことをするのには、どうしたら一番好いかと
言うことを、貪婪に考える。」(88年, 26頁)と記されている。要するに、困難をスト
レスとせず、またそこで余計な迷いで悩んだりせず、「打開する」、「改善する」行
動が「創出」や「達成感」(93年, 66頁)という行動内在的な結果によってポジティブ
に強化されることで楽天的で前向きの生き方を貫くことができたのだ。
さて老後になってくると、体力も知力も衰え、今までと同じことができなくなって
くる。この点について宇野さんは、「あなたが、自分は、今、精いっぱいの努力をし
ているけれど、更に、努力することによって、より高度の能力が発揮できると考えて
いれば、合格です」(93年, 34頁)、「才能の花は六十歳すぎにこそ開く」(93年, 51
頁)、「精魂を込めれば込めるほど、仕事の仕上がったあとには、必ず新しい工夫が
生まれます。新しい意欲が盛り上がります。...仕事には、限りというものがないの
ですね。真の仕事とは、その人の生きた足跡ではないでしょうか」(93年, 66頁)、さ
らには「今、現われている能力は氷山の一角である...まだまだ、ほんとうの力を出
し切っていないのだから、と、毎日毎日、精出して仕事をしている」(85年, 40頁)と
して、物理的な体力は衰えても、年をとればとるほどより大きな好子が随伴する可能
性を信じ続けた。また肉体的な衰えに対しても、上記の前向きの発想から「眼鏡でも、
補聴器でも、現状に合ったものに変えてみるのもまた勇気ある選択なのですね。」、
「...歯と補聴器の経験は、私に新しい喜びを与えてくれたのでした。」として、障
害対処のために最善をつくす行動が常に強化的となるような姿勢を貫いておら
れる。
スキナーも宇野さんも無神論者では無いが、少なくとも神に頼らない生き方をした。
「...神さまと言うものは、その辺にはいないのである。...もっと、雲の上のような、
凡人の眼の届かないところにいるに違いない、...」(82年, 89頁)という言葉によく
表れている。雲の上の神さまが直接好子を与えてくれることはないのだから、「...
仕合わせを自分で作って、自分で探す...」(82年, 89頁)必要が出てくるわけだ。天
国を究極的な好子に設定してルール支配行動を貫く人の場合には、天国への接近とい
う形で体力・知力の衰えをカバーできる可能性があるが、宇野さんはそういう考えは
とらない。いま強化されること、そして年をとればとるほど新しい才能が開花するこ
とが生きがいの基本となっている。
「自分が幸福だと思えば幸福であるし、不幸だと思えば不幸なのです。」(93年,
12頁)というのは一見、具体性の無い精神主義的な発想のように見えるが、「心の持
ち方」を云々する以前に、ちゃんと生活環境を整備しておられることを忘れてはなら
ない。宇野さんの住まいは「単純明快が美しさの原点」(93年, 166頁)に基づいて設
計されており、寝室兼書斎の「机の上には、いつでも、原稿用紙と鉛筆と文鎮が用意」
(93年, 172頁)されているという。この仕事場の様子は何冊かの巻頭写真で拝見する
ことができるが、よく削られた鉛筆が机の右横に整然と積まれ、いつでも手にとれる
状態になっているところが印象的だ。周りを変えることの工夫はこのほか、家の設計、
きもののデザイン、おしゃれ、食生活全般にわたるまで実に行き届いている。そのこ
とによって創造的な行動が自発しやすくなり、より大きな好子が随伴しやすくなる。
読者が宇野氏の著作から学び取れる最大の情報は、まさにこうした環境整備のノウハ
ウにあると言ってよいだろう。
このほか、ほめることの意義、「陽気は美徳、陰気は罪悪」という考え、結婚や対
人関係についてもいろいろためになることが書かれてあるが、今回は紙面の都合で省
略させていただく。スキナーやその他行動分析学関連の書物を一冊もお読みになって
いないと推定される宇野さんが、自己流の最良の生き方を追求され、結果的にスキナー
に酷似した人生スタイルに到達されたという点はまことに興味深い。なお、宇野さん
の著書は多数あるが「生きがい本」に関してはどの本にも同じようなことが書かれて
ある。何冊も買い揃える必要はない。今回拝見した中では、95歳の時に刊行された
『私の幸福論』(93年)一冊だけを読めば十分であるように思えた。
宇野千代さんとスキナーの生き方に意外な共通点があるというのは、面白い発見です
ね。おそらく、どちらも、昨日よりは今日、今日よりは明日を、よりよく生きようと
されていたんですね。見習うべきところ多し、です。(編)。
北九州応用行動分析研究会へのご招待(正体!?)
研究室紹介
山根正夫(北九州市立小池学園副園長)
皆さんこんにちは。前回のJ−ABAニューズの1999年春号の西南女学院大学「園
山研究室探訪」の中で紹介していただいた“北九州応用行動分析研究会”です。通称、
ABAといっています。
北九州の一部の知的障害児施設では、30年近く前から、いわゆるオペラント技法と
して、行動分析的アプローチの実践と研究の萌芽がありました。その後通園施設に広
がり、またS.W.Bijou先生の来北もその高まりに拍車をかけました(行動分析やって
る人なら常識の分化強化について質問したら、初学の私にBijou先生はゆっくりとわ
かりやすい英語で丁寧に教え下さったのです。つまり強化されました。これは後々我
が国の行動分析家へのアプローチにもつながります)。
そんな環境条件の中で10数年前、もっと応用行動分析の勉強をしなくてはと数名の
有志が集まってはじめたのがタイトルの研究会です。会員ですら多少マニアックな会
と認識しています(他の人の認識はわかりませんが)。 現在17名の会員で、毎月定
例学習会を開いています。
発足当初は、ツンドクしておくのがもったいない行動分析関係の研究論文(残念な
がら、まだまだ当時は翻訳文献や基礎的な邦語の文献は少なかったので、JABA等が中
心)の翻訳と学習そしてその実践をめざし、とにかく翻訳することが会員の条件でし
た。
最初は書かれている内容が理解できない上に、迷訳ということで、何がなにやらさっ
ぱりといった状態でもありましたが、ここで、持ち前の図々しさが威力を発揮し、す
なわち行動分析を生業にしている人が、ネガティブな反応をするはずがないという信
念で、あちらこちらの行動分析の専門家に何の面識もないのに突然連絡をして疑問点
の解決をめざしてきました(過日お亡くなりになられた桑田さんにもいろいろと教え
ていただきました。ご冥福をお祈り致します)。ちなみに日本語にできた労作は、
Cooper,Herson,HewardらのApplied Behavior Analysisだけです。
しかしながら、翻訳することが会員の条件というのは、英語の勉強から離れて幾久
しい人、学生の頃より英語が嫌悪的なものでしかなかった会員にとっては、行動分析
の学習を遂行するモチベーションを低下させるのに格好の条件でもありました。それ
が証拠に、退会した人も数しれず・・・。勿論、語学力のなさにすぐ気づき、パソコ
ンに依存してみようと購入した高価な翻訳ソフトもあまり役に立たず、箱の中に大き
なスペースをとっている状況ですし、いろいろな努力も余り実らず、最近は結局日本
語の文献(最近は邦語になった文献も増えてきたので大いに助かっています)の学習
へと転向してきている次第です。
平成10年度は「 応用行動分析学入門 」を各章分担して、学習会をしました。平
成11年度は、「 行動分析学から見た子どもの発達 」と「 重度知的障害への挑戦 」
をテキストに学習する予定です。
この研究会で行動分析のことをよく勉強しているのは数人だという人もいますし、三
項随伴性とか確立操作などという言葉を聞くと3秒たたないうちに睡魔におそわれる
(実際研究会が始まると船をこぐ)という会員もいたり、毎月の学習会で、時々繰り
広げられる激論や大人げない口論を感心しながら(?)聞いている会員と、元々の学問
的なフィールドが随分異なることと、年齢、生育歴、趣味など、行動分析を勉強する
ときのアプローチの仕方や興味の範囲が基本的に違っているようです。それでもひと
りひとり違っていいんだと(これが個別化だ)改めて確認しつつ研究会は細々と継続
されています。
北九州は、関東・関西からかなり遠い所にありますが、私たちの研究会に行動分析
の情報を何か教えてしんぜようと思われる篤志家の方は、ぜひ連絡をください。玄界
灘の魚と、おいしいコーラを用意してお待ちしております。これが北九州へのご招待
と私たちの正体です。
この記事は、山根正夫さん、吉田光行さん、松原平さんの合作だそうです。記事を読
んでのご質問やお問い合わせは、山根さん(fwnn2540@mb.infoweb.ne.jp)か、松原
さん(fwix7424@mb.infoweb.ne.jp)までお願いい
たします(編)。
ニュース&特別寄稿
来年のABAはワシントンDC、〆切は10月20日
来年の国際行動分析学会(ABA)は、5/26-30に、ワシントンDCのMarriot
Wardman Hotel で開催されます。詳しくはABAのホームページ(http://www.wmich.edu/aba/index.html)
をご参照下さい。発表の申込期限は、10月20日です。
さて、ABAには一度は行ってみたいが、英語がどうも.....という会員の皆さん。
宇野千代さんのように、積極的に環境を整備して、ポジティブに行きましょう。
今回は、今年初めてABAに参加した清水裕文さんに、苦手意識のある英語をど
う克服しようとしたか報告していただきました。皆さんも、ぜひ一度、ABAに
参加しましょう!!
ABA※1への参加のために〜英語をどう克服するか?
清水裕文(日本学術振興会特別研究員、明星大学人文学研究科)
はじめに
「ABAに参加しない?」と僕たち学生が誘われたとき,「英語ができないから・・・」
といって,参加を断ってはいないでしょうか? 僕たちは,英語が要求される学部の
入試を突破しているし,多くは大学院の入試も突破している。時間をかければ英語の
文献をそこそこ読めるし,日常でも英語を使うことがある。でも,どういうわけか,
英語ときくと敬遠してしまいます。僕も,今回ABAへ参加することを決めた時点で,
英語についてはとても不安になりました。
しかし,適切なコミュニケーションスキルを身につけることで,このような不安を回
避することができます。僕は,ABAへの参加(初)を決めてから,コミュニケーショ
ンスキルとして,自分で自分の英語を訓練することにしました。プレゼン用資料の作
成よりも,英語の訓練に最も時間をかけたように思います。このJ-ABAニューズでは,
訓練内容の一部について報告することにしましょう。
普段の知識を利用する
僕は普段,発達障害児の子ども達を対象に,臨床活動,そして研究をしています。そ
こで,子ども達に「ことば」を指導するときの方法,特に「刺激・反応等価性」の現
象を応用した指導方法をもとに,自分に英語を訓練する方法を考えることにしました。
「刺激・反応等価性」の指導方法とは,簡単に説明すると,1〜2個の標的行動を指導
するだけで,4〜6個の標的行動を同時に成立させる方法です。詳しい内容については,
山本・清水(1998),清水・山本(1999)などをご参照下さい。
英語の指導方法については,Stromer , Mackay, & Stoddard(1992)が図1のような
プログラムを提案しています。図の四角形()は刺激を,角が丸い四角形()は反応
を表します。刺激から反応へ伸びる矢印は,指導の対象となる刺激−刺激間関係,刺
激−反応間関係です。例えば,「Dictated Names」→「Anagram Spelling」(A→F)
では,音声刺激に対応する適切なスペルを紙に綴ることが要求されます。また,
「Dictated Names」→「Printed Word」(A→B)は,音声刺激(見本刺激)に対応す
る単語(比較刺激)を選択する見本合わせが要求されます。
図1 「刺激・反応等価性」を利用した指導プログラム案(Stromer, Mackay, &
Stoddard, 1992) 四角形は刺激を,角が丸い四角形は反応を表す(原典ではすべて
四角形で表現されている)。「Oral Naming」のグレー色は著者(清水)が付加した。
音声反応が難しい!
図1をもとに試験的に自分を訓練してみました。すると,単語→音声(C→D),絵→
音声(B→D),といった,音声反応が要求される関係が難しい。図1で,グレーに塗
りつぶされた反応(Oral Naming)です。どうも,音声反応のレパートリー不足が問
題らしい。
私たちが「ことば」として発声している音声は,音素という最小の単位に分解できま
す。音素は,国際音声記号(International Phonetic Alphabet: IPA)を使うことで,
すべての記述が可能です。例えば日本語の「あ」という音声は1つの音素で構成され
ており[a]と記されます。「か」という音声は2つの音素で[ka]と記されます。
国際音声記号で記述された,日本語と英語の音素を調べてみると,日本語には約24種
類の音素が,英語には約49種類の音素があることがわかりました(図2)※2。英語に
は日本語のほぼ倍の音素があり,単純に計算すると,日本人は,英語を話すための音
素レパートリーが,25個不足していることになります。
図2 日本語と英語における音素数の違い(遠藤・井上, 1999より数値を引用) 図
では,母音に相当する音素と子音の音素とに分類した。
どう訓練する?
標的行動は,音素レパートリーの獲得です。日本人に不足している25の音素のうち,
発声が難しいのは16個です(遠藤・井上, 1999)。2種類の訓練を行うことにしまし
た。
ひとつは,音素(音)→音素(記号)の見本合わせ訓練です(音素弁別訓練,図3)。
見本刺激(音)が提示されると,僕は必ずそれを音声模倣してから,適切な比較刺激
(記号)を選択しました。もうひとつの方法は,ネイティブが発音した音素を模倣す
る訓練です(音素発声訓練)。自らの発声を録音し,ネイティブの発声と聞き比べ,
時には音響特性を比較します※3。訓練は,ABAへ出発する2週間程前から開始し,ど
ちらも,ただひたすらサルのように試行を繰り返しました。
図3 音声弁別訓練の教材画面 画面の上中央にあるボタンを押すと,見本刺激とし
て音刺激(音素)が提示される。画面下の比較刺激から適切な発音記号を選択する。
結果は?
さて結果です。音素弁別訓練は,総計で約900試行実施しています。グラフをお見せ
するまでもなく,最初からほぼ80〜100%の正反応率でした。もっとも,無誤弁別手
続きのような手続きを使用していたので当然かもしれません。音素発声訓練は,残念
ながら正確な集計を行っていません。第一の理由は,録音した自分の発音を聞いて,
自らで正誤の評定を行うのが困難なこと。もう一つの理由は,音響特性の解析結果を
得点化することが困難だからです。今後,本格的な実験に乗り出すならば,評定方法
の改善が緊急の使命になりそうです※4。
表1はエピソードデータです。会話が成立したか,しなかったか,という視点から
まとめてみました。空港の係員,ホテルのフロントの人たちには僕の発音が通じたよ
うです。ルームメイクの従業員,ABAの学生ボランティア,などには通じませんでし
た。これらは非常に主観的な評価ですが,かれらが日常で接している状況を考えると,
この結果に納得もできます。
表1 会話の成立と不成立
会話が成立
会話が不成立
空港の係員
ホテルのフロント
年輩の研究者
など
ホテルのルームメイクの従業員
ABAの学生ボランティア
コンピュータショップの店員
など
最後に
英語の訓練にはまだまだ課題が残っています。音声反応の形成だけを見ても,今回紹
介した音素の他に,音節の発音,単語の発音,アクセント,イントネーション,リズ
ムなど,まだまだ盛りだくさんです。そして訓練には,かなりの時間をかける必要が
あります。時間の重要性を,今回,僕は身を持って経験しました。1日2〜4時間の訓
練を1〜2年続ける必要があるのと思います。英語の訓練とは,ジョギングや筋力トレー
ニングを毎日するようなものでしょう。
注釈
※1 The Association for Behavior Analysis(国際行動分析学会)の略。1999年
度の年次大会は5月26-30日にシカゴで開催された。
※2 音素の数は学者間で異なる。ここでは遠藤・井上(1999)を引用した。
※3 刺激の提示,及び音声反応の録音にはマクロメディア社のSoundEdit_16
version 2 Jを使用した。
※4 最近,発音を評価してくれるコンピュータソフトが販売されている(例えば,
山田・足立・ATR, 1999)。
引用文献
遠藤尚雄・井上ケン 1999 英語の発音こうすればラクに身に付く! 日本実業出版
社
清水裕文・山本淳一 1999 マトリックス訓練を用いた平仮名における刺激等価性の
成立 日本行動分析学会第17回年次大会発表論文集, 120-121.
Stromer, R., Mackay, H. A., & Stoddard, L. T. 1992 Classroom applications of
stimulus equivalence technology. Journal of Behavioral Education, 2,
225-256.
山田恒夫・足立隆弘・ATR人間情報通信研究所 1999 英語スピーキング科学的上達
法 ブルーバックス
山本淳一・清水裕文 1998 刺激等価性による漢字学習プログラムの開発と家庭学習
の効果 日本行動分析学会第16回年次大会発表論文集, 86-87.
参考文献
益子幸江 1998 音声学 医療研修推進財団(監) 言語聴覚士指定講習会テキスト
医歯薬出版株式会社 Pp.132-139.
根間弘海・ブレーブン・スマイリー 1999 こうすれば通じる英語の発音 ジャパン
タイムズ
山田恒夫・足立隆弘・ATR人間情報通信研究所 1998 英語リスニング科学的上達法
ブルーバックス
ニュース: 役員選挙のお知らせ
今年は役員改選の年です。会員の皆さんのお手元にも、そろそろ投票用紙が届いて
いることと思います。
行動分析学会には20人の理事がいて、この中の10人をまずは会員選挙で選びます。残
りの10人は、現行理事会が選びます。理事として選出された20人から、会長および常
任理事が選ばれ、企画、研究、広報、国際、総務など、学会の運営にあたります。な
により、会長は、会員による直接選挙ではなく、理事によって選ばれます。ですから、
この役員選挙は、会員の声を学会の運営に反映させるための、大切な機会なのです。
ちなみに前回の投票率は19%でした。これを大幅に上回る投票率を目指しましょう。
選挙について、もう少し詳しい情報は、J-ABAニューズ第4号(96年夏号)をご覧下さ
い。学会ホームページからも参照できます。
ニュース: 会費還元抽選会の結果
1999年度会費を4月1日までに振り込んだ、いわゆる会費優良納入者への会費
還元の抽選が、7月29日北海道医療大学で開催された第17回年次大会の懇親会場
で行われました。有資格者211名のうち、当選されたのは以下の方々です。おめでと
うございました。
一般会員: 赤根昭英 梅永雄二 杉浦章一
学生会員: 佐伯大輔 清水美奈子
ニュース: 高校生向け公開講座のお知らせ
このたび、日本行動分析学会と都立新宿山吹高等学校の共催で、公開講座「心理学と
はどんな学問だろう」を開くことになりました。サブテーマは、人と、そして自分自
身と、もっとうまくつきあうには? です。高校生を主な対象としておりますが、講
座に興味をお持ちの方はどなたでも自由に参加できます。入場は無料です。
期 日:10月23日(土曜日)午後2:00〜4:30
場 所:東京都立新宿山吹高等学校3階大講義室 新宿区山吹町81
東西線早稲田駅 or 神楽坂駅下車
電話:03-5261-9771(代表)
連絡先:日本行動分析学会事務局 駒沢大学文学部心理学研究室内
電話:03-3418-9303 FAX: 03-3418-9126 E-mail:
j-aba@komazawa-u.ac.jp
編集後記
・ 16号は久しぶりに盛りだくさんの内容になりました。ところどころ余白が目立つ
かもしれませんが、これはJ-ABAニューズが基本的には4ページ単位で構成されるため
です。B4見開きで裏表印刷をするので、総ページ数は、4、 8、 12、 16、....と増
えるわけですが、こうなると、詰めれば14ページになる場合でも、実際には16ページ
の構成にせざるをえないので、どうしても余白が増えてしまいます。編集上の問題点
なのです。どなたか、解決策をご存じの方は、ぜひ編集局までお知らせ下さい(編)。
・ スターウォーズ『エピソード1』を観てきました。あまりよい評判を聞いてなかっ
たので、期待してはいなかったのですが、予想以上に面白かったです。特撮へのこだ
わりが感じられました。これは、これまで公開されているシリーズよりも以前のでき
ごとで、若きオビワンの姿や、幼少アナキン・スカイウォーカー(後のダースベイダ
ー)が活躍します。映画を見終わった後、友達と、この後の展開(エピソード2,3)
を予想するのに会話が盛り上がりました。まんまとルーカスの確立操作にしてやられ
たという感じです(編)。
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TEL 088-687-6596 FAX 088-687-6100 Mail simamune@naruto-u.ac.jp
皆様からの記事を募集しています。研究室や施設の紹介、用語についての意見、学会
に対する提案や批判、求人求職情報、イベントや企画の案内、ギャクやジョーク、そ
の他まじめな討論など、行動分析学研究にはもったいなくて載せられない記事を期待
します。原稿はテキストファイルの形式で、電子メールかフロッピー(DOS/Mac)に
より編集局までお送り下さい。2000字程度を目安にし、本紙1-2頁におさまるように
考えていただければ結構です。次号の〆切は99年8月31日です。尚、掲載された記事
の著作権は日本行動分析学会に属し、ホームページへの公開を原則としています。メー
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